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戦闘実験第六十八番プログラム
2007-05-24 Thu 20:12
若年層による殺人・傷害事件などが起こると度々取り沙汰される小説「バトル・ロワイアル」

BR

その内容が物議を醸す本作は本当に「問題作」なのだろうか―。
第5回日本ホラー小説大賞の最終候補に残りながら、中学生が殺し合う過激な内容が当時の世相と相まって審査員の反感を買ったため受賞を逃したバイオレンス小説。ただ、皮肉にも受賞を逃したその理由が話題となったため太田出版より刊行、ベストセラーとなる。深作欣二監督、藤原竜也主演で映画化され、後にオリジナルの続編も公開された。

しばしば問題視される「中学生同士の殺し合いゲーム」というキーワードを耳にすれば、まず嫌悪感を感じるひとが大多数であろう。その中でこの小説を実際に読む人が一体何人いるだろうか?敬遠する気持ちもわかるが、百聞は一見にしかず。中高生ではなく大人こそ読むべき作品だと僕は思う。

表面だけを掬い取ってこれは問題になりそうな内容だ、子供の教育上よくない有害図書だ、何処どこで起きた傷害事件の容疑者はこの小説の愛読者だった、などなど。何も今に始まった話ではなく、約8年前の発売前後からこんな話はよく聞いていた。読んでみれば確かに、今の今まで友達同士だった中学生が突然殺し合いを始めたり、細部まで描きこんだ残虐性の高い描写は心地よいものではない。だが、この小説を構成する要素はグロテスクさだけではないことも同時にわかるだろう。モチーフがどうあれ、多少足りない筆力はどうあれ―それだけでこの作品を有害な書物だと決め付けることは、モラリストのふりをした大人たちのエゴイズムである。

バイオレンスな小説であることが問題となるならば、馳星周は、北方謙三はその力を世間に認められていないのか。独特な言い回しの、グロテスクな表現が批判の対象となるのならば、村上龍は何故成功できたのか。デビュー作である本作以降目立った執筆活動もしていない著者・高見広春と前述の著名な作家たちを並べることは失礼に当たるかもしれないが、筆力に劣るとしても、この荒唐無稽なストーリーを、この時代にエンターテイメントとしてまとめたセンスは賞賛されるべきだと、少なくとも僕はそう思っている。

問題なのは書き手ではなく読み手であり、その読み手とはこの時代を作ってきた大人たちなのだ。モラルの低下、秩序の崩壊を招いたのは今を生きる現役世代に他ならず、そしてその世代が時代を反映した小説を批判する旗手となっていることこそ、現代社会のレベルの低さを如実に表していることとも受け取れないだろうか。

高見広春が何を思ってこの小説を書き上げたのか、どんなメッセージをこめたのか、それは当の本人にしかわかりえないことである。アメリカ(をモチーフとした架空の国家)や北朝鮮(をモチーフとした作品の舞台となる架空の国家)に対する強烈な批判なのか、すべてがスティーブン・キングに対するオマージュなのか、単なるエンターテイメントとしての殺人ゲーム小説なのか。それを知ることは出来ない。一読しただけでは奇妙なライトノベルにしかうつらないかもしれないし、深読みすれば政治的メッセージを巧妙に配した、優れた文学作品として受け取れるかもしれない。そしてその真意を汲み取ることができない以上、一般的に言われている「問題作」としての認識がこの作品の顔となったのだろう。モラルを問うことが重要視され、読み物としての評価が殆どされていない、現代の象徴のような作品だ。

少なくとも、この小説を読んだ直後に爽快感を得る人はいないだろう(どうかいないでくれ)。そこで感じた嫌悪感を現実世界と混同しないような、健全な社会を作る責任が今の僕たちにはあるはずなのだ。現代は、大切な何かを幾つも過去に置き去りにしたまま、バランス悪く未来へ向かっている。何の生産性もないくだらない芸能ニュースやゴシップ記事に向けられているその目線を少しずらしてやるだけで、世界は随分変わって見えるはずだぜベイベ。
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